ご由緒

創立の年月不詳。社伝によると、延暦年間(782~806)坂上苅田麿が国司であった頃、深く当社を崇敬して再建したという。これに従えば、当社は奈良時代以前から奉祀されていたものと見えるが詳かではない。また、苅田麿が榊原源吾なる人物を当社に奉仕させ、その際太刀一口を奉納したという。慶長6年(1603)、越前国主結城(松平)秀康が入国して、当社の由緒を聞き、定紋付の器物を寄進したという。
寛永12年(1635)正月、松平忠昌より鏡一面、剣一振の寄進があった。以来代々の国主・藩主が篤く崇敬した。安政2年(1855)福井藩家老、岡部豊後守より備前長船祐定太刀一口が奉納されている。

しかし、これらの宝物は、昭和20年7月の戦災ですべて焼失した。当社は、昔洪水の為に社地が崩れ川となり、当時神木のあった地を木渕と名づけているという。この水害によって現在の鎮座地に遷座したとも伝える。木渕の古跡は、現在足羽川の流域右岸、当社より、三丁余りを隔てた通称モクサン渕である。

明治8年12月、元敦賀県にて於て郷社に列せされ、昭和11年5月、神離幣吊料供進神社に指定された。戦後の昭和24年に本殿が、同 33年五月に拝殿及東鳥居が築造された。昭和40年に社務所、42年に白髭会館、昭和54年に境内周辺の玉垣及南側鳥居が改築された。平成元年4月神楽殿を改築。当社は、式内杉杜郡神社に比定される。社家は『越前国古今名蹟考』に見える「別當 護國山良覺院」の子孫で、先述した坂上苅田麿の臣下、榊原源吾を祖とすると伝える。

戦前の当神社を知る者で最も印象に残っているのは、なんといっても名物の大檸だという。拝殿に向って左手に御神木である夫婦木が互いに手を取り合う様に聳えていた。太い所は大人四人でも抱えきれない位の巨木で、雷が落ちてうしろになった所では畳一枚半位敷ける広さで子供達の格好の「かくれんぼう」の場所であった。又多くの刀剣類や橘曙覧等の掛け軸があったが名物の大檸とともにことごとく戦災で焼失した。古くから独特の七夜祭盆踊りがあり8月17日~8月23日までの七夜の間、近在近郷から踊りの好きな老若男女 が集って賑う。昔は踊りの輪が二重、三重にもなり夜遅くまで踊り通した。若者達の社交の場でもあったようだ。又その間特有の「だいずり」と呼ばれる一四日太鼓打ちの名人が多数現れたようだ。この七夜祭の踊りは昔ほどではないが保存会を中心に現在でも音頭に合わせて7日間行われている。

猿田彦大神と天狗

「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形といわれ、天地を照らす神ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた 太陽神であったとする説もあるそう。

「一神あり、天八達之荷(あめのやちまた)に居り、其の鼻の長さ七咫(ななあた)、背の長さ七尺余り、まさに七尋(ななひろ)といふべし、旦(また)口尻明り幅れり、目八咫鏡の如くにして、説然(てりかがやけること)赤酸漿(あかかがち)に似れり、即ち従の神を遣はして往いて間はしむ、時に八十萬神あり、皆目勝ちて相間ふことを得ず、故(か)れ特に天鈿女(あめのうずめ)に勅して日く、次は是れ人に目勝つ者なり、宜しく往いて問ふべし、天鈿女乃ち其の胸乳(むなち)を露にかきたて、豪帯(もひも)を膳(ほぞ)の下に抑(おした)れ、あざ笑ひて向ひ立つ、是の時に荷の神問ひて日く、次かく為ることは何の故ぞや、対へて日く、天照大神の子の幸(いでま)す道路に、比の如くにして居るは誰ぞ、敢て問ふ、荷の神対へて日く、天照大神の子今降行(いでま)すべしと聞きまつる、故れ迎へ奉りて相待つ、吾が名は是猿田彦大神

この後、猿田彦は天鈿女の問に答えて、天孫の降臨すべき場所は筑紫の日向の高千穂である旨を告げる。この告げに従って天孫の一行は高千穂の出触(くしふる)の峰に天下るのである。

ここに描かれている猿田彦の形相は、長い鼻に真っ赤な顔というのであるから、今日いう天狗のまさに原型のようなものである。その猿田彦が天孫の天下りすべき場所を教えているというのは興味深い。天孫一行は猿田彦の案内がなければ、無事天下ることができなかったとも受け取れる。そこからして、今日の祭においても、神々の行く手は猿田彦が案内するものと、相場が決まったのだろう。

猿田彦の形相は天狗を思い出させるが、実はもともと天狗であったわけではない。日本書紀の中でも、天狗への言及があるが、それは流れ星をさして天狗といっているのであり、もともとは天狗と猿田彦とは別のものであった。両者が結びついて、今日のような天狗のイメージが定着するのは室町時代以降のことである。鞍馬山に住む天狗や、謡曲に多く出てくる天狗のイメージが其の始まりとみられている。

ご由緒

創立の年月不詳。社伝によると、延暦年間(782~806)坂上苅田麿が国司であった頃、深く当社を崇敬して再建したという。これに従えば、当社は奈良時代以前から奉祀されていたものと見えるが詳かではない。また、苅田麿が榊原源吾なる人物を当社に奉仕させ、その際太刀一口を奉納したという。慶長6年(1603)、越前国主結城(松平)秀康が入国して、当社の由緒を聞き、定紋付の器物を寄進したという。
寛永12年(1635)正月、松平忠昌より鏡一面、剣一振の寄進があった。以来代々の国主・藩主が篤く崇敬した。安政2年(1855)福井藩家老、岡部豊後守より備前長船祐定太刀一口が奉納されている。

しかし、これらの宝物は、昭和20年7月の戦災ですべて焼失した。当社は、昔洪水の為に社地が崩れ川となり、当時神木のあった地を木渕と名づけているという。この水害によって現在の鎮座地に遷座したとも伝える。木渕の古跡は、現在足羽川の流域右岸、当社より、三丁余りを隔てた通称モクサン渕である。

明治8年12月、元敦賀県にて於て郷社に列せされ、昭和11年5月、神離幣吊料供進神社に指定された。戦後の昭和24年に本殿が、同 33年五月に拝殿及東鳥居が築造された。昭和40年に社務所、42年に白髭会館、昭和54年に境内周辺の玉垣及南側鳥居が改築された。平成元年4月神楽殿を改築。当社は、式内杉杜郡神社に比定される。社家は『越前国古今名蹟考』に見える「別當 護國山良覺院」の子孫で、先述した坂上苅田麿の臣下、榊原源吾を祖とすると伝える。

戦前の当神社を知る者で最も印象に残っているのは、なんといっても名物の大檸だという。拝殿に向って左手に御神木である夫婦木が互いに手を取り合う様に聳えていた。太い所は大人四人でも抱えきれない位の巨木で、雷が落ちてうしろになった所では畳一枚半位敷ける広さで子供達の格好の「かくれんぼう」の場所であった。又多くの刀剣類や橘曙覧等の掛け軸があったが名物の大檸とともにことごとく戦災で焼失した。古くから独特の七夜祭盆踊りがあり8月17日~8月23日までの七夜の間、近在近郷から踊りの好きな老若男女 が集って賑う。昔は踊りの輪が二重、三重にもなり夜遅くまで踊り通した。若者達の社交の場でもあったようだ。又その間特有の「だいずり」と呼ばれる一四日太鼓打ちの名人が多数現れたようだ。この七夜祭の踊りは昔ほどではないが保存会を中心に現在でも音頭に合わせて7日間行われている。

猿田彦大神と天狗

「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形といわれ、天地を照らす神ということから、天照大神以前に伊勢で信仰されていた 太陽神であったとする説もあるそう。

「一神あり、天八達之荷(あめのやちまた)に居り、其の鼻の長さ七咫(ななあた)、背の長さ七尺余り、まさに七尋(ななひろ)といふべし、旦(また)口尻明り幅れり、目八咫鏡の如くにして、説然(てりかがやけること)赤酸漿(あかかがち)に似れり、即ち従の神を遣はして往いて間はしむ、時に八十萬神あり、皆目勝ちて相間ふことを得ず、故(か)れ特に天鈿女(あめのうずめ)に勅して日く、次は是れ人に目勝つ者なり、宜しく往いて問ふべし、天鈿女乃ち其の胸乳(むなち)を露にかきたて、豪帯(もひも)を膳(ほぞ)の下に抑(おした)れ、あざ笑ひて向ひ立つ、是の時に荷の神問ひて日く、次かく為ることは何の故ぞや、対へて日く、天照大神の子の幸(いでま)す道路に、比の如くにして居るは誰ぞ、敢て問ふ、荷の神対へて日く、天照大神の子今降行(いでま)すべしと聞きまつる、故れ迎へ奉りて相待つ、吾が名は是猿田彦大神

この後、猿田彦は天鈿女の問に答えて、天孫の降臨すべき場所は筑紫の日向の高千穂である旨を告げる。この告げに従って天孫の一行は高千穂の出触(くしふる)の峰に天下るのである。

ここに描かれている猿田彦の形相は、長い鼻に真っ赤な顔というのであるから、今日いう天狗のまさに原型のようなものである。その猿田彦が天孫の天下りすべき場所を教えているというのは興味深い。天孫一行は猿田彦の案内がなければ、無事天下ることができなかったとも受け取れる。そこからして、今日の祭においても、神々の行く手は猿田彦が案内するものと、相場が決まったのだろう。

猿田彦の形相は天狗を思い出させるが、実はもともと天狗であったわけではない。日本書紀の中でも、天狗への言及があるが、それは流れ星をさして天狗といっているのであり、もともとは天狗と猿田彦とは別のものであった。両者が結びついて、今日のような天狗のイメージが定着するのは室町時代以降のことである。鞍馬山に住む天狗や、謡曲に多く出てくる天狗のイメージが其の始まりとみられている。

アクセス

すぎのもりしらひげじんじゃ

杉杜白髭神社

〒910-0856 福井県福井市勝見2丁目1-6
TEL・FAX:0776-22-7669
※お車でお越しの際は、カーナビに電話番号をご入力されますと、当社が表示されます。
駐車場有り:20台

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